1月3日から6日までの近況報告です。

1月3日
今日は父の77回目の誕生日です。昨日は弟とその次男君が泊りに来ていたので皆でケーキを食べました。
私は前日に続いて、朝5時半から「うすい建だより第1号」のポスティングです。秋川6丁目、大塚自治会エリアを約2時間実施。その後は、午前10時から2時間、秋留1丁目をまわりました。ここは大きなマンションが多い。かなり捨てられるのだろうなと思いつつ実施。午後は、秋留4丁目と5丁目。私が担当している雨間町内会エリアはこれにて終了。

1月4日 朝5時半から8時まで2時間半、東秋留駅で朝の挨拶活動です。しばれるしばれる。帰宅後朝食をさっさと済ませ、市役所へ。今日は市議会がある。あきる野市は通年議会を実施していて、今日、会期や補正予算を決めることになっている。開会前に、先の中学生のスピーチ大会で優勝した女生徒による手話を交えたスピーチがあった。手話の巧みさに目を奪われるとともに、話すときの表情の良さに衝撃を受けた。議会では、会期が1月4日から12月20日までとされ、補正予算は全会一致で可決された。この補正予算は、「台風により秋川南郷堰のゲートが破損してしまい、その補修工事のための予算」です。これについては、自分は深く関わりました。相談があったのは、11月の末。前の農業委員会会長であった平野さんから電話があり、「堰は水利組合が管理しているが、とても補修工事の予算はない。市に頼んでいるが国や都にカバーしてもらわないと市も大変だ。この補修工事ができないと、南郷地区などの田んぼに農業用水が引き込めず農業に大打撃になる。また、切欠地区の蛍が消滅してしまう。」とのこと。これは大変だと思い、すぐに市から状況を聞くとともに、井上代議士の秘書に連絡した。翌週、秘書に現場を見てもらい、協力をお願いした。その後さまざまな調整をし、12月の半ば、農林水産省と財務省の査定官が現地を見に来ることになった。都の担当課長も来ていたが、国に対して都の職員が熱心に説明しているのが印象的だった。結果、当初考えていた事業費は圧縮されたが、精査後の事業費の75%を国と都が補助し、市が残りの25%を負担することになった。そして、1月4日の議会で補正予算が可決された。工事は3月中には終えることができる模様だ。
午後は雨間地区以外の後援会加入者に「うすい建だより第1号」を届けに行った。

1月5日
午前中、前日の続きで雨間地区以外の後援会加入者に「うすい建だより第1号」を届けに行った。
午後は、雨間のNPO法人福祉工房さんへ行った。まだお試しレベルだが、あきる野市の「農福連携第1号」のスタートです。内容としては、植木生産農家の平野さん(消防団の先輩)がアイビーという苗木の枝や葉を剪定することを障がい者の方にもお手伝いいただくということ。もちろん工賃は発生します。剪定と言っても盆栽などをやるのではなく、細い枝を10センチくらいの長さにカットしてそれを挿し木とするもの。この日は平野さんがやり方を障がい者通所施設の職員の方に教えて、お試しで剪定をしてみたというものです。職員の方が後日、障がい者にやり方を教えてゆくゆくは障がい者の収入になるようにつなげていきたいというものです。障がい者の方々は通常、箱や紙袋、タオルなどを折ったりする作業をしています。今回のように植物を対象にすることはやったことがないのです。でも、土や植物など、生きているものに触れることは彼らにとって新鮮で新しい楽しみにもなるのではないか、という思いをしました。今日作業をしていた職員の人たちは楽しそうにやっていました。ぜひ、障がい者に取り組ませたいと目を輝かせていました。
実は、私は11月の市議会一般質問で「農福連携」について一般質問を行いました。障がいのある方にとって生きがいを見出すお手伝いをしたいと思っていたのです。質問した後、地元農家の先輩に話をしたところ、「それいいんじゃない」とおっしゃっていただいたので、ならばということで、市の障碍者支援課長に相談しました。この課長は前向きに受け止めていただいて、障がい者団体にアプローチをしてくださいました。その流れで今日に至りました。今後はもっと広がりができるよう、私自身も協力していきたいと思います。

1月6日
今日も雨間地区以外の後援会加入者に「うすい建だより第1号」を届けに行きました。気候が温かかったので調子が良かったです。すると、午後1時を過ぎてしまったので、帰宅してすぐにキララホールへ。若き音楽家のフェスティバルにご招待いただきました。あきる野にはこんなにすごいひとたちがいるんだ、と感心しました。このキララホールは音響が良いという評判です。「音楽のまち」を掲げ、キララホールをつくった父・臼井孝を誇らしく思います。
先日のキララバンドの新聞記事を思い出しました。ふるさと創生で国が1億円を全国の自治体に配りました。その際、当時の秋川市は「この地で生まれ育って音楽に親しんだ子供たちが、学校を卒業しても秋川市で音楽を楽しめるようにしたい」という思いをもって、1億円の一部を使って、高額な楽器を購入したのです。個人では購入できない楽器を市が用意し、市民楽団をつくることを目指したのです。そしてキララバンドが生まれ、今やあきる野市の宝となっています。上杉鷹山が財政が貧しくとも教育には惜しまなかった。秋川市は理想を掲げ取り組み、今になってそれが花開いて、潤いのあるまちに貢献していると思います。その新聞記事を見た父はこころなしか笑顔を見せていました。私の家には父がもらったキララバンドの指揮棒が飾られています。