7月11日月曜

参議院議員選挙が終わり、ようやくあきる野市議会議員選挙だ。7月11日からは、気兼ねなく政治活動ができる。今朝は、瀬戸岡交差点にのぼり旗を立てて挨拶活動をした。地元の岡野さんが一緒に立ってくれた。ありがたい。道路で立つ際には、ライバルがいないので、一人で十分だけど、仲間がいるのは心強い。ただ、駅での挨拶の際には、仲間が居る方がよい。駅はどうしても競合するからだ。特にのぼり旗を立てられない先週などはきつかった。私が5時過ぎに秋川駅の改札前のセンターポジションをとってひとりでやっていたのだが、6時半になると、共産党軍団がぞろぞろ来てしまった。元市議の戸沢さんは個人的には和やかに会話をできる間柄だけど、仲間が次から次へと来て、私の横に立つと、のぼり旗もない私は、外から見たら、共産党グループになってしまう。戸沢さんは、冗談で「参議院は山添、市議会は臼井」と駅へ行く人に声をかける。あちゃーーーと思い、「私は南口に移動します」と先週に引き続き、都落ちしてしまった。6時半から7時半というコアタイム(もっとも通勤客が多い時間帯)のセンターポジションを奪われ、南口の階段付近でひとり挨拶を続けるオレンジ色のおじさん。でも、今週は仲間がきてくれるし、のぼり旗も立てられるから、センターポジションを動く理由はない。

先週のことを書いたが、先々週はもっとひどかった。5時過ぎからセンターポジションに立っていたら、7時になって、松本議員がずんずんやってきて横断幕をはってよこにどどんと並んだ。ああ、思い出したくもない。関口さんや田端さんは申し訳ないですね、と言ってくれるのですが、松本議員は容赦ない。図太い、さすがに元市長選挙立候補者だ。

さて、今朝は瀬戸岡交差点でアイサツ活動を終えて、帰宅し食事をとり、出かける準備をしていると、Yさんから電話が。少しこころがざわついた。奥様の訃報の連絡だった。奥様は、私の後援会女性部の重役で、頼りにしていた方だった。バイタリティーあふれ、こんなに心強い人は居なかった。昨年の選挙の遊説においては、フォローをよくしてくれた。彼女がいたから、皆がスムーズに仕事ができたのだと改めて思う。今回は病に伏していて選挙はとてもできないということで、彼女の存在の大きさに身にしみて感じていたところだった。また、彼女は現役中はサマーランドの宴会などを取り仕切る、やり手の方だった。サマーランドの社長などとも懇意で、以前山口社長【元東京都副知事)と彼女で一緒委に自宅に来てくれたことがあった。また、現在の中西社長のところに挨拶に行く際にも彼女に一緒に行ってもらった。彼女がいると、とても和やかな雰囲気になるのだ。

今朝、9時に亡くなったそうだ。絶句した。そして、夕方、妻と母と3人でご自宅へ。ちょうど、ご主人のYさんと話す事ができた。ご遺体に面会はできなかったが、後日、お別れの会があるとのこと。昨今の家族葬ブームもあるのだが、彼女の生前の交友関係からすると、お別れの会でもやらにとかわいそうだ、というご主人の発案だそうだ。ああ、今年は、本当に心に野おる方々が亡くなっていく。でも、前を向いて頑張らないといけない。生きてる内にがんばらないといけないのだろう。自分は53歳。政治家人生の中では後半だ。どんなチャンスが自分にあるかわからないが、目の前のことを一生懸命やっていこう。そうすれば、きっと何か、めぐってくるはずだ。なくてもそれは人生、自分は都庁の役人の人生よりも地元の人たちの笑顔をみたいということで市議になった。それで十分、本望ではないか、とも思う。ただ、それは自分だけで収められる場合のこと。自分の力量以上に、自分に期待を寄せてくれている人のなんと多いことか、今日も本当に多くの方に市長選に出ないのか、出てほしい、と言われた。この方々の気持ちを思うとつらいが、今は自分の力をもっとつけていくしかない。ま、とにかく、選挙だ。がんばろう。